dorivenの日記

気がついたら社会人。気になる技術的なことについて少しずつ書いていけたらと思っております。

自分を振り返る 2

課題と論文の修正ラッシュにより完全に昼夜が逆転してしまった。

大学に泊まって栄養剤飲みながら40時間*2の4時間睡眠とかやってれば当然といえば当然か。

などという雑談をしながらも、今回も過去の自分を振り返りたいと思う。

やはり就活をやっていると自分が何故この道に進んだか、っていう原点に振り返ることで

就活中にブレないと自分で思ったから。

本音を言うと、我流の自己分析をすればするほど考えが迷走しているから原点の再確認。

前回はこちら 自分を振り返る 1 - datchの日記

前回のあらすじ

HSPという言語に触れ、ゲーム制作を行っていく中で「ゲームクリエイター」になりたい、という夢を抱き工業の情報科に進んだ。

高校生活

高校生活では情報科なのでプログラミングの授業があった。

言語はもちろんC言語HSPではなかった、変数の型、文字を表示するprintf、文字を入力するscanfなどの初歩的なものを習った。

当時は自分の中で常識となっていたHSPの言語ルールとは違ってはいたが、自然とC言語を受け入れていた。

プログラミングを事前に触っており、プログラミングがやりたくて高校に入った自分はプログラミングの授業なら誰にも負けない!

なんて、意気込みで当時は授業に臨んでいた記憶がある。

授業でフローチャート図を書いたりとか、実習でマイコンに触ったり、プログラムの課題を解いたりしていた。

(半分ははんだ付けとか、基板の構築とかハードウェアもやったりもしたけど)

兄が大学に行ってしまったため、我が家にはパソコンがなくなってしまい、結婚式場でアルバイトをしてパソコンを買った。

話は逸れるが結婚式場のアルバイトはかなりハードで、特に男は会場の設営をしたり、冬場に足場を組み立てて電飾付けたりでとかで、

会場の片付けして掃除をするころには夜の21時になって、クタクタになりながら家に帰ってすぐ寝ていた。

バイトが休みの日にはHSPの参考書を読みながらプログラミングをやっていたりもしたが、バイトのせいか徐々に頻度が減っていった。

そんな時に、ダブルパンチである言葉が自分の耳に飛び込んできた。

学歴の壁

それは授業中の出来事。

先生「この中にゲームクリエイターになりたい奴が何人かいるみたいだけど、高校からゲームクリエイターになるのはものすごく難しいぞ!

基本的に高校生に募集が掛かることはない。大体は大学生以上でなるものだ」

なんて言葉を耳にして、自分の中で見事に夢が破壊された。

今のままじゃゲームクリエイターになるのは無理、という現実を叩きつけられた。

バイトが忙しいせいもあってか最近あまりプログラミングにも触れていない。

自分はもうゲームクリエイターにはなれないんだ。

姉が同じ高校を卒業して電機メーカーの製造業に就職していたこともあり、このまま何処かの会社でプログラミングをしない仕事につくのかと思った。

上には上がいる

そんな中、友人の1人がとてつもないスキルの持ち主だということを知る。

彼もゲームクリエイターを目指している1人だった。

しかも、プログラミングを始めたのも中学一年生と自分とあまり変わらない。

だが、彼はとある全国的なプログラミングコンテストに応募し、見事に賞を取った。

しかも、その応募した作品を作ったのが中学生の頃だと聞いた時には驚いた。

彼の応募したゲームをやらせてもらった時にとてつもない衝撃が走った。

ネット上のフリーゲーム集のゲームよりもはるかにクオリティが高かった。

当時、中学からプログラミングをやっていて周りよりもプログラミングが得意だったためか、

少し天狗になっていた自分がいたが今まで自分が作っていたゲーム作品よりもはるかに凄いゲームを作っている。

(今でも彼のゲームを持っているが、先の話にはなるが大学で一年だけゲーム制作のサークルに入っていたが、

彼のクオリティを超えるようなゲームは正直なかった。いいところ、同レベルくらいのように思えた。それほどのレベルだった。)

そんな奴が自分と同じクラスで同じ授業を受けている。

今までの自分がとても恥ずかしくなった。

そして、自分も頑張れば彼のようになれるのではないか、と思うようにもなった。

大学への転換

それを受けてなのか、今の自分が受けている授業のレベルに疑問も持ち始めたのかもしれない。

本当にこんなプログラミングの授業だけで自分は社会人になれるのだろうか?、と考え始めた。

当時はポインタも構造体もよく分からなかった。

ポインタの授業なんて酷いもので、変数のアドレスを格納して表示しただけだった。

そんな授業で出てきた基礎も理解出来ないのに果たしてこの先、プログラマとしてやっていけるのか?

そんな疑問が常に頭をかすめていた。

そして、県内に情報工学で有名な大学があることを知った自分は工業ながらその大学に行くことを決心した。

工業では基本的に指定校推薦で就職や進学が決まるため、自分のように試験を受けて(県内の人が受けられる推薦だけど)進学する人は稀だった。

勉強も1人だったし、周りが指定校でどんどん進路が決まる中、自分だけが勉強するのは正直大変だった、と今でも思う。

(でも大学受験をしている人よりも全然勉強していないので、大学受験の人よりは精神的な点を除いては楽だっだだろうな、とは思う)

そして、なんとか大学の推薦に合格して進学を決めた。

この時はまだ何処かでゲームクリエイターになれればいいな、なんて思っていた。



とりあえず、今回はここまで。

「学歴の壁」と「上には上がいる」というのは時系列が少しあやふやです。

まだこの時はプログラミングよりゲームをやる方がはるかに好きだった。

でも、この頃から徐々に受け身な自分が少しずつ能動的になっていっている、と書きながら思った。